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[2020.06.05] #34前田 陽介 「感謝を胸に(中編)」

公開日:2020/6/5(金)
筆者:MC TEDDY

#34 前田 陽介 「感謝を胸に(中編)」
大学卒業後、アーリーエントリーとしてプレーしていた横浜ビーコルセアーズへ練習生として参加していた同大学キャプテンの河野誠司と共に正式に入団。

2012-13シーズンの横浜は、大学先輩のファイ・パプムール。現在も日本で活躍しているトーマス・ケネディ、ドゥレイロン・バーンズが所属。日本人選手も蒲谷正之、堀田剛司、青木勇人、山田謙治など良いシューターが揃っていた。
チームを指揮するのは、前シーズンに就任1年目でチームを3位に導いた レジー・ゲイリーHC。レジー・ゲイリーHCの目指す、求めるバスケットは本当に細かく緻密だった。攻守ともに40から50はあったという戦術、フォーメーションを覚える事に入団当初はなかなか対応することが出来なかった。しかし、このレベルがプロでプレーすることだと理解してプレシーズンの練習に取り組んでいった。
この細かい戦術のバスケットがチームに浸透していくと、リーグ中盤から終盤で試合ごとにチームが 成長して連勝。強くなっていくことを感じることが出来た。リーグ戦を2位で終えると、プレーオフを突破して2年連続で有明コロシアムのファイナルに進出。カンファレンスファイナル新潟戦では、ブザービーターで劇的勝利。ファイナルでもライジング福岡に勝利。チーム結成2年目で優勝のタイトルを獲得する。
チームは試合を重ねるごとに一体感を強めていたが、その裏でチームの運営は厳しい状況に陥っていた。チームは勝ち続ける事でギリギリのバランスを保っていた。また前田自身の知らない所で先輩たちがチームと何度も話し合いをしていたことは、後になってから知ることになる。その影響を全く感じさせないオンコートでの振る舞いは、大きな学びとなった。
優勝後にチーム消滅の危機もあったが、運営会社が変わり、徐々に経営も安定していく。
2013-14シーズンはACだった勝久マイケル(信州HC)がHCに昇格。前年優勝したことで期待は大きかったが、シーズンを通してチームが浮上することが出来ず、イースタン7位でプレーオフ進出を逃してしまう。しかし、このシーズンから外国籍選手の出場ルールがオンコート2に変更されたことで、日本人選手のプレー機会が増加。前田自身も少しずつプレータイムを掴むと、強力なセンター選手がいたこともあり、アウトサイドからのシュートも積極的に打てる様になっていた。
翌シーズンは、シーズン通して外国籍選手がフィットせず、12連敗などシーズン通して18勝34敗、イースタン10位と低迷してしまう。

シーズンオフ、新たな挑戦をすること、環境の変化を求め移籍を検討していた。
そこでシーズンオフに開催されたbjリーグの合同 トライアウトに参加する。その中で、対戦した時にチームの雰囲気や戦い方に好感を持っていたこと、また新規参入チームを盛り上げることができるんじゃないかという思いから、福島ファイヤーボンズへ移籍できたらよいという思いがあったが、この時は声 がかかることはなかった。
この時、将来的に福島でプレーすることになるとは思ってはいなかった。トライアウトでは、自分の持ち味は出せた手応えはあったが、チームから声がかかること は無かった。しかし、逆にトライアウトでのプレーが横浜の関係者に再評価され、最終的に横浜に残留することになった。

bjラストシーズンとなった2015-16シーズンは青木勇人がHCに就任。
新加入選手では喜久山貴一が入団。現在の様なシューターのイメージよりは、スキルが高くてドリブルでボールを運べる選手だった。このシーズンの開幕戦の福島戦では、オーバータイムの激戦を制して白星スタート。しかしチーム成績は上がっていかなかった。

バスケ界はbjリーグとNBLの統合、Bリーグ誕生へと動き出していた。
当時、ブースターだけでなく、選手としてもリーグ統合への不安もあったが、日本のバスケ界の未来を考えるとこのタイミングなのかという考えに変わっていった。
横浜は当初、B1への参入は厳しいとみられていたが、債務超過の解消や新規スポンサーの獲得など最後まで活動を続けた結果、B1の18チームに参入が決定する。前田自身は、B1参入の決定は素直に嬉しかったが、同時に自分はチームに残れるだろうか?という思いも抱いていた。このシーズン、プロ入り後キャリアハイとなる出場時間、得点の結果を出していたが、シーズン終了後に契約満了の通告を受ける。
当時のGMからは今後のキャリアを考えると、移籍してプレー機会を増やす方がいいんじゃないかという話をされていた。そこからチームを探すことになったが、最初に声をかけてくれたのはB2参入が決まっていた茨城ロボッツだった。ロボッツはNBLに参戦。つくば市で活動していたが、Bリーグ参入のタイミングでホームアリーナの問題もあり、つくば市、水戸市を中心とする茨城県全域にホームタウンを拡大していた。オーナーが代わり良い方向にチームが変わっていくという話もあり、同じ横浜に所属していた河野と共にチームのワークアウトに参加。翌日に正式なオファーが届き入団を決める。
Bリーグ開幕という日本バスケのスタートに向けて、注目度が上がっていることはプレシーズンから感じていた。そしてテレビで見た代々木での開幕戦の雰囲気、盛り上がりは選手としても大きなモチベーションになった。

そして茨城ロボッツのBリーグホーム開幕戦。ホームの青柳公園市民体育館は2079名の観客が訪れ、超満員のスタートとなった。チームも強力な声援を力に岩手ビックブルズに84-75で勝利。前田もスリーポイント2本を含む8得点で勝利に貢献している。
最高のスタートを切った様に思えたが、翌日のGAME2では観客が半減、チームは連勝したが、プレーだけでなくファンサービスや地域活動などの大切さを知る事になった。このシーズンはセンターにリック・リカートがいたこともあり。積極的にスリーポイントを打つことができた。また、長年同じチームでプレーする河野とお互いの良さを理解していたことで、早い段階からチームに馴染むことができた。試合を重ねるごとに岩下HCの信頼を得ると徐々にプレータイムも増えていく。最終的にチームはプレーオフ進出を逃すが、32勝28敗の東地区2位、個人スタッツではスリーポイント成功率42%など全ての項目においてキャリアハイの結果を出すことができた。

Bリーグ2年目となる2017-18シーズン。ロボッツは翌年の新アリーナ完成もあり、B1昇格に向けて選手を補強。序盤はなかなか調子が上がらなかったが、終盤から勢いに乗ると最終戦の福島戦までに16連勝を記録していた。チームは連勝を続けていたが、出場時間の偏りなどもあり、選手たちは勝つことでギリギリのバランスを保っていた。

そして連勝すればプレーオフ進出がきまる最終戦アウェイの福島戦。
会場のいわき市総合体育館には、多くのロボッツブースターも駆けつけていた。
土曜日の試合に勝利して、プレーオフマジック1。連勝を17に伸ばしていた。
しかし翌日の試合。目の前でプレーオフ進出を決められたくない福島が意地を見せて勝利。わずかに1勝届かず、2年連続でプレーオフ進出を逃してしまう。
この試合は茨城ロボッツでは 「いわきの悲劇」と語り継がれている。
勝利を信じていただけに、試合後のロッカーは誰も言葉を発せないほどに沈黙していた。シーズン終盤に出番は減っていたことからシーズン終了後に移籍を考えて自由交渉リストに掲載。1番最初に声をかけてくれたチームに行こうと決めていた。

そこで いち早く声を掛けてきたのが、かつてbj時代にトライアウトにも参加した福島ファイヤーボンズだった。

福島は所属選手の移籍でシューターを探していた事。また茨城時代に福島戦でよくシュートを決めていたことが評価されていた。最終的に「福島でたくさんシュートを決めて欲しい」という言葉をもらい、 迷いもなくオファー即決で福島への入団を決める。


~後編へ続く~